リー・クアンユー (Lee Kuan Yew/李光耀) 1923〜2015

独立以来60年近く続く、人民行動党の一党独裁の中心を1990年まで担っていた。首相としてほとんどの政策に関わり、生みの親であるラッフルズに対して、「シンガポールの育ての親」と評されることも。首相退任後もアジア有数の影響力を持つ人物であったが、2015年、91歳で逝去した。

新しい国の形の模索

マラヤ連邦との合併が国民投票により可決され、1963年にマレー半島・サバ・サラワクにシンガポールを含めたマレーシア連邦が誕生。ここに初めて、他国の植民地ではないシンガポールの地位が確立した。しかし、マレー人優遇を採るマレーシア中央政府と、すべての民族をマレーシア人として平等に扱おうとするシンガポールの関係は急激に悪化、わずか2年で分離し、現在に続く都市国家の形となる。分離後、資源もない小国となった危機感は、国民を人民行動党のもとに一致団結させた。それまでのマレー化政策は影を潜め、共通語としての英語とそれぞれの言語の教育を義務付ける2言語政策が採られ、英語話者の増加は、外国資本の積極的な誘致とあいまって、経済の飛躍的な発展を可能とした。一方で、1970年代からどの言語も中途半端になってしまう若者(半桶水)が現れ問題化。また、欧米の自由な価値観に触れ、厳しい規律の社会から外国へ移り出るものも増加した。母語や儒教教育の推奨など、さまざまな対策が採られているが、現在もまだ完全な解決はされていない。経済的発展を成し遂げ、対外的な不安も少ないなかで、それぞれに異なる文化を持つ多民族をまとめあげる、新しいアイデンティティが求められている。

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コロニアル建築と近代的なビルが隣り合わせで並ぶ街並

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奥付:
この記事の出展元は「トラベルデイズ シンガポール」です。掲載している情報は、2015年4月〜8月にかけての取材・調査によるものです。掲載している情報、商品、料理、宿泊料金などに関しては、取材および調査時のもので、実際に旅行される際には変更されている場合があります。最新の情報は、現地の観光案内所などでご確認ください。

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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