2017年12月23日

ドイツ

ドイツのクラシック音楽の歴史に触れる

by Fish & Tips

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バッハ、ベートーヴェン、ブラームスをはじめ、多くの偉大な作曲家を輩出してきたドイツ。クラシック大国の音楽の歴史に触れてみよう。

ミンネゼンガーからバロックへ

ニーチェは『偶像の黄昏』のなかで「音楽がなければ生は誤謬となろう」と書いたが、ドイツ音楽の定義は明確ではなく、ここではドイツ語圏で生まれた音楽と考える(ザルツブルク生まれのモーツァルトはドイツ人かどうかが一時、問題となったことがある)。12〜13世紀、中世の南フランスでは貴婦人に対する恋や愛を歌うトルバドゥールと呼ばれる宮廷詩人が活躍するが、この影響を受けてドイツにはミンネザング(愛の歌)を歌うミンネゼンガーが誕生。さらにマイスタージンガーという職匠歌唱者に発展していく。ドイツ音楽に多大な影響を与えたのが宗教改革者のマルティン・ルター(1483〜1546)だった。改革により、それまでのラテン語による難しいグレゴリオ聖歌から、ドイツ語を使ったプロテスタント教会のコラール(賛美歌)を生み出した。ルター自身、『神は堅き城』といったコラールの傑作も創作している。バロック期(17世紀初頭〜18世紀前半)になるとドイツ音楽は徐々に大きく発展していく。ドイツ・バロック音楽の巨匠、ヨハン・セバスチャン・バッハが登場する。大バッハと呼ばれ、「音楽の父」と賞賛される大作曲家であり、著名な演奏家でもあった。1000曲以上の曲を残しているが、代表的な作品として『マタイ受難曲』、『無伴奏チェロ組曲』、『ゴルトベルク変奏曲』、『ブランデンブルク協奏曲』、『音楽の捧げ物』、『フーガの技法』、『G線上のアリア』などがある。同じバロック期に活躍したヘンデルは生涯の大半をイギリスで過ごし、のちに帰化している。

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ライプツィヒのトーマス教会前にあるバッハ像。バッハはこの教会でオルガン奏者兼合唱団の指揮者として活躍

古典派からロマン派の音楽

バロック時代が終焉を迎える18世紀中頃から19世紀前半の時期は古典派といわれる時代。オーストリアのウィーンで活躍したハイドンやモーツァルト、ベートーヴェンらに代表されることからウィーン古典派と呼ぶこともある。「交響曲の父」とされるハイドン、天才的な作曲家で演奏家でもあったが35歳で夭折したモーツァルト、「楽聖」と呼ばれたベートーヴェン。これら偉大な音楽家の作品は時代を超えて多くの人に愛され、その影響力は計り知れない。 19世紀初期からロマン派と呼ばれる音楽が誕生する。古典派とは違い、主観的・個性的で、感情的な作品が生み出されていく。ロマン派オペラで知られるウェーバー(『魔弾の射手』など)や、「ドイツ歌曲の王」とされるシューベルト(三大歌曲集『美しき水車小屋の娘』、『冬の旅』、『白鳥の歌』など)、メンデルスゾーン、シューマン(『子供の情景』など)、ブラームス(新古典派ともされる)らが代表的。ワーグナーは音楽と演劇を結びつけ楽劇を生み出した(『トリスタンとイゾルデ』など)。この頃のドイツ音楽はヨーロッパでも最高のレベルに達していたといえる。 19世紀後半〜20世紀初頭にはブルックナーやマーラー、ヴォルフらが活躍するが、一方でシェーンベルク、ベルク、ヴェーベルンらの新ウィーン学派が登場、とくにシェーンベルクがドイツ現代音楽に与えた影響は多大なものがあった。また、リヒャルト・シュトラウスの存在も見逃せない。

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ハンブルクのブラームス博物館。この街で生まれたブラームスの自筆譜や手紙などが展示されている

ドイツ・オペラのお話

ミロシュ・フォアマン監督の映画『アマデウス』(日本公開は1985年)で、モーツァルトが皇帝ヨーゼフ2世に面会するシーンがある。そこでモーツァルトはドイツ語のオペラ『後宮からの逃走』を書きたいと申し出る。周辺関係者はドイツ語が歌には向いていないという理由で反対するが、皇帝は許可する。オペラは17世紀初頭にイタリアで誕生し、ヨーロッパの宮廷に広がっていくが、当時オペラはイタリア語で鑑賞するのが貴族たちにはごく当たり前のことだった。したがってモーツァルトの皇帝への懇願はドイツ語によるオペラをという思いが実現されたことになる。モーツァルト最後のオペラ『魔笛』もドイツ語で書かれている。 オペラはイタリア語でという常識はなかなか打破できなかったが、ウェーバーによる『魔弾の射手』が1821年にベルリンの王立劇場で初演され、大成功を収める。さらにこの作品に大きな影響を受けたワーグナーが登場し、『タンホイザー』、『ローエングリン』、『トリスタンとイゾルデ』、『ニーベルングの指環』といった大作を生み出していく。 リヒャルト・シュトラウスのオペラ作品では『ばらの騎士』や『カプリッチョ』、『サロメ』などが知られている。

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ボンのミュンスター広場前にあるベートーヴェン像。ボンは、シューマンゆかりの街としても知られている

音楽史に名を残す有名作曲家

誰もが魅了される数々の名作を残したドイツの音楽家たちを知る。

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ Johann Sebastian Bach
1685〜1750年
アイゼナハで音楽の名門バッハ家に生まれる。代表作は『マタイ受難曲』や『トッカータとフーガ二短調』など。1000曲以上を作曲し、音楽の父と称される。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン Ludwig van Beethoven
1770〜1827年
ボン生まれ。16歳でモーツァルトに、22歳でハイドンに師事。『交響曲第三番英雄』や『交響曲第五番運命』など名曲を多数残す。難聴と闘いながら活動を続けた。

ロベルト・シューマン Robert Alexander Schumann
1810〜1856年
ザクセン州生まれ。ピアノ講師フリードリヒに師事したのち、『トロイメライ』などを作曲。前期ロマン派の代表的な作曲家として名高い。

ヴィルヘルム・ワーグナー Wilhelm Richard Wagner
1813〜1883年
ライプツィヒ生まれ。ルートヴィヒ2世が心酔し、その庇護を受け、多くの作品を残す。代表曲は、オペラ『トリスタンとイゾルデ』や『ニーベルングの指環』など。

ヨハネス・ブラームス Johannes Brahms
1833〜1897年
ハンブルク生まれ。シューマンの賛辞により有名になる。『ワルツ』、『子守歌』などを作曲した。バッハ、ベートーヴェンと並び「ドイツ音楽の三大B」と称される。

リヒャルト・シュトラウス Richard Georg Strauss
1864〜1949年
ミュンヘン生まれ。前衛的な音楽家として知られ、『サロメ』、『エレクトラ』などのオペラや交響曲を作曲した。優秀な指揮者としても有名。

ベルリン・フィルハーモニー

世界最高のオーケストラ
数々の偉大な指揮者たちに導かれ、進化を続けるオーケストラの誕生から現在までの変遷を追う。

誕生、そして第1次黄金期

ベルリン・フィルハーモニーは1882年に設立され、1887年に初の専業指揮者として名高いハンス・フォン・ビューローが指揮者となり、演奏レベルを高め、注目を集めるようになる。1895年、指揮者に迎えられたアルトゥール・ニキシェは、当時新しかったブルックナー、マーラー、R・シュトラウスらの作品を取り入れ、オーケストラに豊かな表現力を加えた。1922年までのニキシェ在任中、名声は高まり、第1次黄金期を迎える。

2人の天才指揮者を迎え、名声を確立

ニキシュの後任に抜粋されたのが、ヴィルヘルム・フルトベングラー。世界恐慌やナチスの台頭など、激動の時代にあって、オーケストラを率い、ベートーヴェンやブラームス、ブルックナーなどを中心としながら、同時代の作品も盛んに演奏する。しかし、大戦の影響で、1944年に演奏会場が空襲で爆破され、多くのユダヤ人演奏家も離散。敗戦後には、ナチスへの協力という疑いで活動が禁止される事態も起こるが、1947年に復帰。1954年に他界するまで再び指揮を続けた。 1955年、ヘルベルト・フォン・カラヤンが終身指揮者兼音楽監督というポストを担い、オーケストラの新たな時代が始まる。カラヤンは、レコード録音を積極的に行なうことで、演奏会場にとどまらず、世界中の聴衆を魅了。1963年には近代的なコンサートホールも完成し、現代的な空間を本拠地としながら、退任までの34年間、精力的に活動を続けた。フルトベングラーとカラヤン、2人の天才指揮者により、ベルリン・フィルハーモニーの名声は不動のものとなった。カラヤン退任後は、1990〜2002年にクラウディオ・アバドを、2002年以降はサイモン・ラトルを指揮者として迎え、21世紀のオーケストラ界を牽引する存在として、今も注目を集め続けている。

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筆者 : Fish & Tips

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奥付:
この記事の出展元は「トラベルデイズ ドイツ」です。掲載されているデータは、2015年12月〜2016年3月の取材・調査によるものです。掲載している情報、商品、料理、宿泊料金などに関しては、取材および調査時のもので、実際に旅行される際には変更されている場合があります。 最新の情報は、現地の観光案内所などでご確認ください。
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