【パリ】ヴィンテージショップ&古着屋めぐり!
今回紹介したいのは、観光名所を回る旅行とはまた一味違うパリめぐり。パリにはたくさんのヴィンテージショップが存在します。人と同じなんてつまらないと、オリジナルであることを重要視するパリジャンたちの多くは...
フランスでようやくルネサンス様式が自国流に洗練された頃、ローマではバロック様式が支持を得ていた。「歪んだ真珠」を意味するといわれるバロックは、ルネサンス様式におけるシンメトリーの重要性に真っ向から対立し、よりダイナミックな造形をめざした。バロックの特徴は、まず建築、絵画、彫刻などあらゆるジャンルの芸術を総動員して、ひとつのドラマティックで密度の濃い空間を作り出すことにある。建築的には曲線や曲面を多用した立体感のある形を用い、光の操作や遠近法、配置法を駆使して見るものの感覚に直接訴えかけるような工夫を施す。
宗教改革時のカトリック教会をパトロンとして発展したこの建築様式は、17世紀、ルイ14世の側近、マザラン枢機卿などにより絶対王政下のフランスでさらなる発展を遂げる。それはバロックの実現には莫大な知識と資金力が必要だったことと、王の権力を示すのに、豪華で荘厳なスタイルが適していたことによる。
国内にバロック様式が伝わり初めても、ローマのような過剰な装飾は敬遠され、秩序と調和のある、独自のバロックが生み出されていった。17世紀は、ギリシャやローマの建築を手本とした古典主義様式が好まれており、バロックに与えた影響も少なくない。古典主義様式は「オーダー」と呼ばれる古代神殿に用いられる円柱と梁の組み合わせが特徴的で、アルドゥアン・マンサールによるアンヴァリッドなどに見られる。 この時代の建築は、バロック建築家のルイ・ル・ヴォーによるフランス学士院や、フランソワ・マンサールによるヴァル・ド・グラースなどが残る。
主要なバロック建築のひとつ。マンサールのプランで起工し、途中からルメルシェが引き継いだ。バロック様式の特徴である曲線を用いたねじり柱にも注目。
フランスを代表する建築家たちが代々造営してきた。1667年、医者出身のペローがデザインし、宮廷東側の建設が始まる。
国立廃兵院付属の礼拝堂。正方形平面とギリシャ十字平面を組み合わせ、十字の中央に高いドームがそびえている。アルドゥアン・マンサールが設計。
18世紀に入ると、フランス・バロックの仰々しい様式に飽きた宮廷の人々が、より優美な「ロココ」を生み出す。建物全体ではなく、室内装飾の新様式のため、後期バロック様式とも位置づけられる。自由でのびのびとした曲線、非対称的な紋様、白や淡い色彩が特徴的だ。サロン文化と密接に関わっており、ポンパドゥール夫人やマリー・アントワネットが象徴として挙げられることも多い。スービーズ館の「冬の間」と「夏の間」はロココ室内装飾の典型とされる。
ロココの代表建築として名高い元貴族の館。ルイ14世、ナポレオンなどフランスの歴史上重要な人物の古文書などを保管する博物館だ。
建築家にとって、新古典主義は過去の法則に縛られない新しい形態と構造の追究だった。折衷主義は欧州のものだけでなく、多様な様式を組み合わせた。
18世紀半ばから19世紀半ばまで隆盛した様式。古代ローマやギリシャの建築を手本としつつ、そこに建築の本質を問う思想的な運動でもあったが、ナポレオン1世の即位後はその権力を示すものとして利用された。様式誕生の背景としては、ロココやバロック様式の過剰な装飾に対する批判や、革命という大事件の影響、ポンペイなどの古代遺跡発掘による古代世界への傾倒、啓蒙思想の躍進などが挙げられる。
建築の本質を求める動きのなかで、古代の建築様式を模倣するだけではなく、古代建築の真の姿がさまざまな方向から模索された。考古学的な見方で正確に造形を再現しようとするもの、理論的に構造を解釈して、より単純な形に再構成するものなどだ。建物の特徴としては、古代建築様式の円柱が意識的に用いられ、装飾は少なく厳格な雰囲気が漂う。
パリでは、新古典主義の偉人ジャック・ジェルマン・スフローによるパンテオンや、ナポレオンの命により建てられた凱旋門、マドレーヌ寺院などが代表的だ。この時代には啓蒙思想の影響もあり、市庁舎、博物館、図書館、病院など公共建築を一流建築家が手がけた。
高さ50m、幅45mの世界的に有名な門。全体像は古代ローマのティトリス帝記念門から着想されたという。
古代ローマ神殿のようなファサードを持つ。1790年の完成時はサント・ジュヌヴィエーヴ教会堂という名だった。設計はジャック・シェルマン・スフロー。
議論が尽くされ、ローマやギリシャの古典建築の価値が相対的になると、それまでの建築様式のリヴァイヴァルがブームに。ネオ・ゴシックやネオ・バロック、ネオ・ルネサンスなど、さまざまな様式が見直され、いくつもの時代や国の様式を織り込んだ様式も生まれた。たとえば、パリのサクレ・クール寺院はビザンツとロマネスクの合体様式だ。19世紀に活発化したこの様式は歴史主義、折衷主義と呼ばれる。
1853~1869年、パリを一新する都市計画が県知事オスマンのもとで施行された。採用されたのはネオ・バロック様式だったが、単なる再現以上に新しく、第二帝政様式と呼ばれることもある。代表的な例はガルニエによるオペラ座だ。この時期の建築としてはほかにアレクサンドル3世橋、リュフェルによるルーヴル宮増築が挙げられる。
ゴシック建築が注目を集めた19世紀には、マドレーヌ寺院や、サント・シャペル、ノートル・ダム大聖堂などが中世建築を研究するヴィオレ・ル・デュクの手により修復された。
171の設計案のなかから採用されたのは当時35歳のガルニエの案。起工から13年の歳月をかけ、幅125m、奥行73m、総面積1万1000㎡の劇場が1875年に誕生。
1900年の万博のためにレサールとアルビがデザイン。巨大な鉄の単一アーチからなり、金属による花模様とランプで装飾。
Paris Pont Alexandre, by The Bei Posti, CC BY
パリの建築の旅もいよいよ最終コーナーへ。アール・ヌーヴォーの旗手ギマール、そして「近代建築の父」といわれたコルビュジエが登場して現代へ続く。
「新しい芸術」を意味するこの様式名は、1895年にサミュエル・ビングがパリに「新芸術商会」を設立したことに由来する。19世紀から20世紀初頭にかけてヨーロッパ各地で一世を風靡した建築・美術の運動で、デザイン的特徴は草花にヒントを得た形状や優美で自由な曲線だ。第一次世界大戦によるヨーロッパの荒廃もあり、20年ほどで廃れてしまったが、今でもファンは多い。
フランスを代表するアール・ヌーヴォーの建築家はエクトール・ギマールであった。パリ市内に残るメトロの入口は彼によるデザインのもので、草や、昆虫の羽を思わせるガラス屋根と階段壁面の装飾などを見ることができる。
ほかにもパッサージュや百貨店の建築でアール・ヌーヴォー様式を確認することができる。
また、19世紀は鉄材が普及した時代だった。現在の北駅やオルセー駅(現オルセー美術館)のほか、パリ万博の開催に合わせてエッフェル塔や、グラン・パレ、プチ・パレなどの鉄とガラスの建築が建てられた。新しい時代の象徴として歓迎されたこれらの建築は、様式自体はネオ・ゴシック、ネオ・バロックなどばらばらである。
1896年創業のヨーロッパ大陸最大の老舗デパート。総面積は7万㎡を誇る。外部は1926年に改装されたが、アール・ヌーヴォーの階段室と中央の見事なガラスのドームは現在も残っている。
パッサージュは19世紀に建造されたガラス屋根のアーケード街で、セーヌ右岸に点在する。ここは現存するパッサージュのなかで最も古い建物のうちのひとつで、1800年に完成した。
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