2017年9月9日
イタリア
イタリア・フィレンツェ 華麗なるメディチ家の遺産を巡る
by Fish & Tips
Palazzo Vecchio, Florence, by garyullah, CC BY
中世のフィレンツェを統一し、その最盛期と、ルネサンスの芸術家たちを支えたメディチ家。かつての絶大な財力と権力を今に伝える遺産は、メディチ家ゆかりの宮殿や美術館で見ることができる。
文化の発展に貢献したメディチ家の功績
銀行業で大成功を収めたメディチ一族がフィレンツェの政界に台頭したのは14世紀半ば。その後、コジモ・イル・ヴェッキオが1434年にフィレンツェ共和国を統治し、1737年まで続くメディチ家支配体制の基盤をつくった。当時から文化への関心が強かったメディチ家は、初期ルネサンスの職人たちの社会的地位を芸術家として向上させることに尽力。1460年代以降、コジモの孫、ロレンツォはボッティチェッリやミケランジェロのパトロンとして、彼らの才能を花開かせている。また1569年に「トスカーナ大公」となったコジモ1世は、フィレンツェに豪華な宮殿やモニュメントを建造し、華やかな都市を形成。それらの遺産は、メディチ家最後の子孫、アンナ・マリア・ルイーザによって保護され、「天井のない美術館」といわれる都市となった。
メディチ家のおもな当主たち
祖国の父
コジモ・イル・ヴェッキオ[1389-1464年]
フィレンツェの実権を握り、名実ともメディチ家を不動のものとする。
豪華王
ロレンツォ・イル・マニーフィコ[1449-92年]
フィレンツェ最盛期の当主。しかし公金横領などで権勢に陰りをみせる。
トスカーナ大公
コジモ1世[1519-74年]
専制君主としてその権力をふるうが、彼の死後メディチ家は衰退していく。
最後のメディチ
アンナ・マリア・ルイーザ[1667-1743年]
メディチ家のコレクションすべてを一般に公開する遺言を残して亡くなる。
関連リンク
典型的ルネサンス様式のコジモの宮殿 メディチ・リッカルディ宮 Palazzo Medici-Riccardi
1444年にコジモが建築家ミケロッツォに設計させた居宅。1659年にリッカルディ家の所有となった。ゴッツォーリ作『ベツレヘムへ向かう東方三博士』の壁画が礼拝堂に描かれている。
金で彩色された部屋には、ジョルダーノ作『神の寓話』が描かれている
外観は簡素だが内部は絢爛豪華だ
ミケロッツォの設計による中庭
コジモの彫像が当時の権力を象徴する
メディチ・リッカルディ宮
- 現地名:
- Palazzo Medici-Riccardi
- 住所:
- Via Cavour 3
地図を見る » - アクセス:
- ドゥオモから徒歩3分
- TEL:
- 055-2760340
- 営業時間:
- 8:30~18:30(閉館は19:00)
- 定休日:
- 水曜
ルネサンスを庇護したメディチ家 パラティーナ美術館 Galleria Palatina
ピッティ宮の2階にあり、メディチ家が収集した名画が豪華な29の部屋に展示されている。とくに「サトゥルノの間」には、ラファエロの傑作『大公の聖母』『小椅子の聖母』『フェドラ』などが並んでいる。
宮殿の右手の階段で2階の美術館へ
もとは大銀行家ピッティの館
部屋の豪華な内装も見どころだ
静謐な修道院のフレスコ画の秀作 サン・マルコ美術館 Museo di San Marco
15世紀にメディチ家が、建築家ミケロッツォに再建させた、サン・マルコ教会所属の修道院。建物の壁には、ルネサンスの画僧フラ・アンジェリコが描いた優雅なフレスコ画『受胎告知』などがある。
多くの名僧を輩出している修道院だ
豪華な暮らしぶりを見る 銀器博物館 Museo degli Argenti
ピッティ宮の1階と2階に設営されている。メディチ家代々がコレクションしてきた銀器、貴金属製品、象牙細工、宝石などを展示。その高度な細工技術に驚嘆すると同時に、かつてのメディチ家の財力を思い知らされる。
よく管理された宝飾品が整然と展示されている
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- 奥付:
- この記事の出展元は「トラベルデイズ イタリア」です。掲載している情報は、2014年10月〜2015年1月の取材・調査によるものです。掲載している情報、商品、料理、宿泊料金などに関しては、取材および調査時のもので、実際に旅行される際には変更されている場合があります。最新の情報は、現地の観光案内所などでご確認ください。