もう一歩掘り下げる ハワイ王朝終焉後のハワイ

近代化の波にのみ込まれるようにして、アメリカの一部となっていった。

外来勢力により王朝が倒されアメリカに併合される

1894年、ハワイ共和国の成立が宣言され、翌1895年に親米派白人たちによるクーデターによってリリウオカラニ女王がイオラニ宮殿に幽閉された。1898年7月、ハワイはアメリカ合衆国領に編入されて準州となり、それから半世紀以上が過ぎた1959年8月、アメリカ合衆国の50番目の州となった。

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イオラニ宮殿の背後に建つ州政府ビル。内部見学も自由

豊かな自然を表現する行政の中心 州政府ビル

ひときわ目立つモダン建築の中央部は空を仰ぐ吹き抜けになっていて、火山をモチーフにしている。建物の正面および裏側にある各8本の柱は、ハワイ諸島の8島を表している。

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ハンセン病患者のために尽くしたダミアン神父像

州政府ビル

現地名:
Hawaii State Capitol
住所:
415 S. Beretania St.
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アクセス:
ザ・バス2・13番、ルートB/ワイキキトロリー・レッドライン
営業時間:
7:45~16:30
定休日:
土・日曜、祝日 
Webサイト:
http://www.capitol.hawaii.gov

移民の足跡 19世紀〜20世紀前半

19世紀前半、ハワイでは大量の労働力を必要とする大規模なサトウキビ農業が起こり、日本人をはじめ中国人、フィリピン人など多くの移民が来島した。

移民を待ち受けていた過酷な待遇
最初にハワイに移民したのは中国人で、彼らはヨーロッパ船の乗組員だった。1830年代にサトウキビ農園や製糖工場が盛んになると、労働力不足の穴埋めとして移民が求められたため、1850年代には清(当時の中国王朝)から組織的な移民がやって来るようになった。1898年にアメリカの中国人排斥法案が施行されるまで推定4万6000人の中国人がハワイに移住したという。ほかにもプエルトリコやポルトガル、ノルウェー、朝鮮半島からも移民がやって来た。日本からの最初の移民は1868(明治元)年で、英国船サイオト号で153名がホノルルに入港した。彼らはのちに「元年者」と呼ばれるが、実際は誕生したばかりの明治政府の許可を得られず、不法出国となっていた。移民たちはいずれも低賃金で長時間の過酷な労働を強いられた。農場主の多くは白人であり、移民労働者はアジア人が圧倒的に多く、農場監督にはポルトガル人が使われた。監督は容赦なくムチをふるって労働者を監視したという。アメリカでは1863年に奴隷制度が廃止されたものの、ハワイの移民労働者は依然、農奴のような扱いを受けていた。

王の要請で本格化した日本人移民
「元年者」以来しばらく日本人移民は途絶えたが、1881年にカラカウア王が日本を訪問した際に明治天皇に移民を要請。これを受けて1885年に日本政府による第1回移民が開始された。このとき600人の公募に対して2万8000人の応募があったという。1924年にアメリカの移民法により日本からの移民が禁止されるまで、ハワイへの日本人移民は延べ22万人にのぼり、移民最多国となった。だが移民労働者への待遇は変わることがなく、しばしば大規模なストライキが起こる。移民のなかにはアメリカ本土に渡る者もいた。

ハワイ王国(1795〜1894)
1802 中国人がサトウキビ栽培に着手
1820 宣教師団がアメリカから移住
1830年代 メキシコからカウボーイを牧場に招集
1850年代 労働者移入の法案が通過し、中国から組織的な移民流入開始
1868 横浜から初めて日本人が移住
1878 マデイラ島とアゾレス諸島からポルトガル人が移住
1881 明治政府と正式に移民協定を締結
1883 中国人移民を制限する法律が通過
1885 日本から初の官約移民制度が開始
1886 契約労働の中国人移民ほぼ流入停止

ハワイ共和国(1894〜1898)
1894 日本の官約移民制度を廃止
1898 アメリカ領土となり、本土の契約移民禁止法がハワイに適用
1906 マニラからフィリピン人労働者が移住
1908 日米紳士協定が締結され、日本移民の入国制限。呼び寄せによる移民増加
1917 アジア人の入国禁止
1924 排日移民法の制定、日本移民の禁止
1946 日本移民の再開

ハワイ州(1959〜)
1967 新移民法の成立
1987 日本からの観光客が100万人超す

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商売に長けた中国人移民が築いたチャイナタウン

ボストンの宣教師たちが布教し文字を伝えたハワイ最古の木造建築 ミッション・ハウス博物館

1820年にニューイングランドから到着した宣教師たちが建てた住居兼作業所。文字を持たなかったハワイ人のために宣教師たちはアルファベットでハワイ語を綴り、この場所で初めてハワイ語の聖書が印刷された。またキルトをハワイに伝えたのも彼らだ。

 

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宣教師たちは1部屋に1家族が暮らしていた

ハワイアン・ミッション・ハウス

現地名:
Hawaiian Mission Houses
住所:
553 S. King St.
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アクセス:
ザ・バス2・13番、ルートB/ワイキキトロリー・レッドライン
TEL:
808-531-0481
営業時間:
10:00~16:00
定休日:
日・月曜、祝日 
Webサイト:
http://www.missionhouses.org

日本人移民100周年を記念して建立映画やドラマのロケ地としても人気 平等院

明治元年に「元年者」と呼ばれる初めての日本人移民が来島してから100年後の1968年に建立。京都の平等院を縮小して模し、鐘堂、本堂、庭園などが再現されている。周囲の池には鯉が泳ぎ、心癒されるスポットとして国内外の観光客に人気。日系人の挙式も多い。

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コオラウ山脈をバックに緑深いカネオヘの丘の上に建つ

平等院

現地名:
Byodo-in Temple
住所:
47-200 Kahekili Hwy.
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アクセス:
83号線カヘキリ・ハイウェイ沿い、ワイキキから車で40分/ザ・バス65番でテンプル・バレーSC下車
TEL:
808-239-8811
営業時間:
9:00~17:00、日曜10:00~16:00
定休日:
無休 
Webサイト:
http://www.byodo-in.com

ノスタルジックな再現展示で日本人移民の歴史と文化を紹介 ハワイ日本文化センター

日本人官約移民100年を記念して1994年に開館。1階のギャラリーでは「おかげさまで(I Am What I Am Because of You)」と題された常設展示が見られ、日本人移民の歴史と暮らしを当時の道具や写真パネルなどで再現。約15分間の日本語字幕のフィルムも上映する。

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毎週水曜10時30分〜日本語ツアーもある

ハワイ日本文化センター

現地名:
Japanese Cultural Center of Hawai'i
住所:
2454 S. Beretania St.
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アクセス:
アラモアナ・センターからザ・バス6番
TEL:
808-945-7633
営業時間:
10:00~16:00
定休日:
日・月曜、祝日 
Webサイト:
http://www.jcch.com

約80年前のサトウキビ農園で働く国際色豊かな移民の暮らしを知ろう ハワイ・プランテーション・ヴィレッジ

かつて製糖業の街だったワイパフに、1930年代の移民村を再現。日本人、中国人、ポルトガル人、韓国人、フィリピン人などの移民の住居のほか、床屋、クリニック、商店、風呂屋なども再現されている。お国柄の違いや当時の生活様式がわかって興味深い。

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まるで1930年代にタイムトリップしたよう

ハワイ・プランテーション・ヴィレッジ

現地名:
Hawaii's Plantation Village
住所:
94-695 Waipahu St., Waipahu
地図を見る »
アクセス:
アラモアナ・センターからザ・バス40・42番、ルートA・E
TEL:
808-677-0110
営業時間:
8:00~16:30、ガイド付ツアー10:00~14:00
定休日:
日曜、祝日 
Webサイト:
http://www.hawaiiplantationvillage.org

戦争と軍隊の歴史 20世紀後半

楽園のイメージが強いハワイには反面、戦争の痕跡がいくつも残されているのも事実。とくに太平洋戦争に関する歴史は日本人としてぜひ知っておきたいものだ。

楽園が戦火にまみれた真珠湾攻撃
太平洋戦争のきっかけとなった真珠湾攻撃は、1941年12月7日午前7時55分(日本時間8日未明)に起こった。オアフ島真珠湾に集結していたアメリカの戦艦や駆逐艦などをめがけて、旧日本軍が奇襲を行なった。米本土とアジアの中間に位置するハワイは軍事戦略上の重要な中継地であり、アメリカ太平洋艦隊の心臓部でもあった。それゆえ、先制攻撃による短期決戦を望んだ旧日本軍にとって格好の標的となったのだ。この攻撃により2400人以上のアメリカ兵と民間人が死に、旧日本軍も60名を超える戦死者を出した。真珠湾攻撃後、ハワイには戒厳令が敷かれ、当然のことながら反日感情も高まっていく。日系人学校も閉鎖されるが、当時ハワイの人口の約半数を日系移民が占めていたため、収容所送りとなったのは実業家や教師など指導者と見なされた者だけであった。のちにハワイの日系2世を中心とした日系人部隊が編成されてヨーロッパ戦線に投入される。彼らはアメリカへの忠誠を証明するため果敢に戦って勝利に貢献、数々の勲章を授けられた。パール・ハーバー周辺は今では平和のシンボルとなった、大戦ゆかりの観光スポットになっている。

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真珠湾(パール・ハーバー)には、今も70年前の真珠湾攻撃の犠牲者が沈んでいる

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観光情報を観光地ごとに紹介する雑誌スタイルの旅行ガイドブック「まっぷるマガジン」。その取材スタッフや編集者が足で集めた「遊ぶ」「食べる」「買う」「見る」「泊る」のおすすめ情報をご紹介しています。

奥付:
この記事の出展元は「トラベルデイズ ホノルル」です。掲載している情報は、2014年8〜11月の取材・調査によるものです。掲載している情報、商品、料理、宿泊料金などに関しては、取材および調査時のもので、実際に旅行される際には変更されている場合があります。  最新の情報は、現地の観光案内所などでご確認ください。

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。